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2009年8月30日 (日)

過去の作品と競合するという考え方

図書館で本を借りるときは、読みたいと思ったものを事前にネットで検索・予約してから借りるのがほとんどなのですが、これはたまたま、本棚で見つけて、とても楽しく読めた本。

グーグルに勝つ広告モデル (光文社新書)
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この本に出てきたもので、そういえばそうだなあと、感心した考え方があったんですが、それは、現代のクリエイターは過去の作品とも争うことになる、というものです。

そうですよね。現代音楽の作曲家は、モーツァルトやベートーヴェンとも競合してしまうんですよね。同じような楽器の構成で、まともに競って勝てるんだろうか。勝てないから、こんなことになってしまうのでしょうか↓

現代音楽は調性をはじめとする従来の音楽様式を否定した前衛的な音楽を指すことが多い。最も顕著な特徴は不協和音の多用である。また、一般大衆向けよりもどちらかというと、アバンギャルドな一部の聴衆や専門家に向けに書かれることが多く、スノビズムであるとの批判が次第に高まってゆく。
(現代音楽 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E9%9F%B3%E6%A5%BD より引用)

高校生の頃クラシックがすごく好きで、NHK FMのクラシック番組をよく聴いていました。同じような時間帯の枠で、現代音楽の番組もありましたが、正直、聞いてられなかったです。作曲した人には申し訳ないですが、雑音かと・・・

まあ、それは、わたくしが「一般大衆」であるからでしょうけど。

話がそれましたが、例えば、現代において小説を書く人は、夏目漱石とも、芥川龍之介とも競合しちゃうですよね。もっと言えば、紫式部とも。

で、そんな状況は昔からあったんですけども、技術の進歩によって、それが加速しているという話が、この本に載ってました。昔は、旧作品にアクセスするためのコストがそれなりに高かったんでしょうけど、ネットで簡単にアクセスできるようになると、もろに競争相手になってしまいますからね。

僕は思うんですよ。ネットじゃなくても、たとえば、レンタルビデオとレンタルDVDだって、VHSからDVDになってかさばらなくなったから、1店舗における作品数が多くなった。それでも、物理的な店舗だと、在庫に限界があるから、旧作品をすべておくってことはできない。それも、TSUTAYAのネット宅配レンタルみたいなサービスができちゃったら、入手できない映画の方が少ないんじゃないでしょうか。

さらに、オンデマンド化が進めば、1作品あたりのコストが下がって、新作品と旧作品の競合はますます激しくなるんじゃないでしょうか。

何本かDVDを借りて、300円の新作より、100円の旧作品の方が面白かったなんてことは往々にしてあるわけで。

落語だって厳しいですよ。寄席に行くっていうファンもいるでしょうが、主に音声だけ(CDとか)で楽しむっていうファンも多いですからね。そういうファンにとって、現代の噺家は、文楽、圓生、志ん生と同じ土俵にのっているわけで。本人が亡くなろうが、口演の媒体が残っている以上、永遠に引退しない巨匠と戦い続けなければいけないわけで、私が噺家だったら、震えあがりますね。笑点に出ている場合じゃないって。いや、笑点に出るしかないのかも。

もうちょっと後の世代になっても、枝雀だって、志ん朝だって、米朝だって、談志だっていますよ。やはり、ライブ(寄席)ってのは大事なんですねぇ。CDやDVD(さらにVOD)で、彼らを押しのけて、買ってもらうのは至難の業ですもん。今、生きているっていうことを最大限に利用しないといけないですね。

なんてことを、この本を読んで感じたのでした。ほとんど本の内容と関係ないあたり、読書感想文ぽくていいでしょ。

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