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2009年10月21日 (水)

痴漢冤罪に関して鉄道会社がちょっとでも負い目を感じてくれれば十分なんです

久々にまともなトラックバックがきまして、こういうのは、反論でも何でもちょっと嬉しいわけでございます。

どうも自分が書いた文章が読まれているという実感がありませんで、アクセス数がどれだけあるという話を以前嫁にしたときに、「(検索結果を思わずクリックして)どうせ間違って来た人だ」と言われたのですが、まあ、そういう感じもないでもないんでしょう。

現に、地デジテレビの補助金のエントリをそうとう前に書いて、それには当時(補助金のプランが全然固まってない段階)の情報を書いたのですが、そんなものは今は役に立ちません。でも、今でもそれなりのアクセス数があったりして、間違って飛んできてしまった人は、「役に立つ何の情報もないじゃん」とがっかりしているのではないかと、心苦しかったりもします。

私のように普通のサラリーマンをしておりますと、ブログ以外では、私の書いた文章を不特定多数(少数でも)の人が読むことはないのです。私の書いた文章を読まされるのは、私と仕事で関わりのある人か、私に私的なメールを送りつけられた、いわば読む義務を負わされた人であり、その他の読まないことを選択できる自由人が、わざわざ私の書いたものを読むことに、何か奇跡的なものを感じるのです。

それはさておき、トラックバックのついた私のエントリは、↓これ

痴漢は逮捕する必要なし: 主張

なんですが、痴漢の責任は全面的に鉄道会社が負えという、極論です。トラックバックしてくれたのは、下記の記事↓

「門番責任」という理屈: 動員型国家の超克

私の書いたのは、言いっぱなしの思いつき記事なんで、ボロクソに書かれているんじゃないかと思い、記事を読んでみたんですが、難しくて、「ちょっと何言ってるかわかんないです」(c)サンドウィッチマン、ってのはもちろん冗談なんですが、おそらく以下のようなことなんじゃないかと。

私が書いたような考え方は、

場・空間を設営して、利益を上げている者は、その空間・場でその空間の利用者に損害を与える他の利用者の行動をどこまでコントロール責任を負うべきか、負わせるべきかという問題。

と関連するのですが、場の管理者に責任を負わせるやり方は、

近代私法の

・過失責任主義(自己責任原則と過失責任原則)

に抵触するからだ。

なんだそうです。で、法律の心得のない私などは、知らない用語の登場が5つ目くらいの段階で、頭がぼーっとしてくるので、全部理解したとは言えないのですが、まあ、なんとなく分かります。

ネットオークションでの犯罪や、違法なサイトに対して、プロバイダーが全責任負うのも変な話。でも、全然責任がないのかというと・・・、ねぇ。

法律ってのは、当事者の調整がうまくいかず、泥仕合みたいになった、最後の最後に適用されるもので、普段は気にしなくていいものでないといけないと私は信じています。当事者の常識と努力でほとんどの事柄は解決されるんじゃないかと。

原因の一部を作っている、当事者それぞれみんなが、それなりに努力すれば、極論なんか言い出さなくてもいいんですけどね。

痴漢冤罪で犯人以外の関係者と言えば、被害者、冤罪の被害者、警察、検察、裁判官あたりでしょうか。そして私がいいたいのは、鉄道会社も一員だぞと。

いろんな人が少しずつ原因を作っていたりします。例えば、

被害者は、被害を被らない努力をしないさい、と。

この前見た、痴漢冤罪ものの「誰かが嘘をついている」というテレビドラマの例だと

「誰かが嘘をついている」と「それでもボクはやってない」の類似性: 主張

日頃何度も痴漢に遭い、この日だけは行動しようと決めていた女子高生の被害者。

っていう設定があったんです。

「日頃何度も痴漢に遭」っているなら、女性専用車両に乗れよ・・・。

首都圏の通勤・通学時間帯には、まず間違いなく女性専用車両があります。ないなら、鉄道会社が悪い。あるのに乗ってないというのなら・・・、ねぇ?あと、あやふやな根拠で、人を警察に突き出さないこと。

そして、冤罪の被害者の場合は、紛らわしい行動を取らなかったか?いろいろ文句は書きましたが、佐伯さんの言っていることは、非常に参考になるんです。

痴漢冤罪にあう人が悪い、と言わんばかりの記事: 主張

映画「それでもボクはやってない」の例だと、主人公は電車のドアにはさまってしまったスーツのすそを抜くために、混雑した電車の中で不自然な動きをしてしまうんです。ぎゅうぎゅうに混んでいる中で、一人モゾモゾしていて、犯人と間違われてしまいます。

警察、検察に関しては、まあ、映画でもドラマでも問題点が描かれていたので、いいでしょう。

そして、最後の砦の裁判官が本当にだらしない。警察や検察がいくら理不尽でも、ここ(判決)で救うことができるはずなんです。「裁判は公正に行なわれているはず」って信じることは、現代の迷信かもしれません。

なんやかやで、いろんな人に少しずつ問題があるんじゃないの、ってのが現実だと思うんです。で、それはドラマや映画で十分に描かれていると思うんです。見終わった後に、なんともやりきれない複雑な気持ちになるのは、そのためだと思います。

で、この責任の一端を鉄道会社にも、ってのが私の考えなんです。

すでに、「鉄道会社が悪い!」って声高に叫ばれていれば、もう、私なんぞが言う必要もないんですが、なんだかちっとも責められている感じがないので、言いたくなってしまう次第。

そう、「いろいろ事情もあるんだろうけど、鉄道会社も、もうちょっとがんばったらどうよ?」って、みんなの頭に思い浮かぶようになってくれれば、私としては満足です。■

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コメント

14日未明、人気アニメ『天元突破グレンラガン』や『Fate/stay night』などで知られる声優の植田佳奈が、
パーソナリティを務めるラジオ番組『アニたまどっとコム standard まるなげ♪』(ラジオ関西)内で、
放送の内容に「不適切な発言があった」として謝罪した。

 問題となったのは、7日未明放送の同番組内での植田の発言。
植田は電車内でのマナーについて注意してきた男性に対して、
「社会のゴミ」とした上で「このオヤジを社会的に抹殺とか、とにかく、はずかしめて、
あいつが悪い方にさせるにはどうしたらいいのかって考えた」などとし、
悲鳴を上げて鉄道警察を呼び、
名誉毀損罪や傷害罪などの罪を被らせればよかった、と具体的に話した。

 この放送直後から、ネット上の掲示板では
「痴漢冤罪を意図的に作ろうというのか」「公共の電波で言うことではない」などと批判が殺到。

 騒動の拡大を受けてか、14日の同番組内で植田自らが「不愉快な思いをさせた」などと放送内で謝罪したが、
この謝罪に対しても「当初の放送での発言とは電車内の状況の食い違いがある」
「こんな棒読みの謝罪には意味がない」などさらなる非難の声があがり、結果的に火に油を注いだ形になっている。

コメントというか、記事をまるごと貼りつけていただいたみたいですが、ソースは↓こちらでしょうか。

声優・植田佳奈「不適切発言」を謝罪もネットはさらに炎上! - 日刊サイゾー
http://www.cyzo.com/2008/12/post_1310.html" rel="nofollow">http://www.cyzo.com/2008/12/post_1310.html

植田さんって方(誰?)が、本気でそんな行動をとろうしたなんてことはないでしょうが、実際それが可能だという点が恐怖なんですよね。

弱者のふりをして強者の側に立ち、相手の生殺与奪を握る。

あなたが男、あたしが女、ここが電車→駅員も警察も検察も裁判官も、被害者のいいなり、という、そんな嘘みたいな話があながちフィクションではないという状況あるからこそ、世の男性達はそこに恐怖を覚え、そんなことされちゃたまらんということで、この○○○○女を叩いておかなくては、ということにもなりましょう。

社会的に抹殺されたのは、「このオヤジ」ではなく、植田さんって方(誰?)だったというオチですね。

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