狩野英孝の役名が「鶴川柿生」だった理由
以前、こんなエントリを書きまして、
簡単に言いますと、レッドシアターでのコント(一人芝居?)で田舎者の役をやっていたんですが、その役名がなぜか「鶴川柿生」。
私には情報がなかったので、微妙に地味な駅名を2つ並べたんだろうくらいに思っていたのですが、コメントで有力情報をいただきました。
狩野英孝は小田急線の新百合ケ丘にある日本映画学校に通っていたころ隣の駅の柿生の焼鳥屋でアルバイトをしてたそうです。
おそらくこの付近に住んでいたんだと思います。
きっとそこから鶴川柿生の名前が出たはずです。
なるほど。狩野氏は日本映画学校の卒業生だったのですね。日本映画学校、新百合ヶ丘駅の北口にありますよね。
あと、ウィキペディアにも、
日本映画学校俳優科卒業(15期生)。
(中略)
俳優を目指して2000年に上京し、日本映画学校俳優科に入学。しかし3年後の卒業に当たって、映画や芸能事務所のオーディションなどになかなか合格出来ず、困っていた所を同校講師による紹介でマセキ芸能社に入社。尚、事務所の先輩に当たるウッチャンナンチャンも同校出身である。
ほう、ウッチャンナンチャンも日本映画学校出身なんですね。狩野氏のコントで「鶴川柿生」のフレーズが出てきたときに、内村氏がうけていたのは、聞き覚えのある駅名だったからでしょうか。
あ、でも、ウッチャンナンチャンが在校していたのは、日本映画学校の前身の横浜放送映画専門学院時代みたいですね。まあ、母校の移転先のことなので、もちろん知っていたんでしょう。
ん、でも、
1975年4月、今村昌平が横浜スカイビルに「横浜放送映画専門学院」を開校。この頃「今平学校」と呼ばれる。学院長は今村昌平。
1985年、小田急線新百合ヶ丘駅北口に移転。3年制の専門学校とし、学校名を「日本映画学校」と改める。理事長・学校長は今村昌平。
1985年、横浜放送映画専門学院(現日本映画学校)の漫才の講義で一緒に組んだのをきっかけとして、コンビ結成。
移転したのが1985年、学校でコンビを組んだのも1985年ってことは、ちょうど移転の時に在校していたんですかね。
ところで、狩野英孝がバイトしていた焼鳥屋ってどこなんでしょうか。情報求む。
ちなみに、ウィキペディアによるとホスト経験はないそうで。
あと、「スタッフ~」っていうフレーズ、けっこう好き。■
[2010年7月2日 追記]
やきとり大吉では、というコメントをもらいました。
柿生交差点にあったお店ですでに閉店しちゃっているんですが、ストリートビューの画像には、まだ残っていました。
更新されても消えないように画像も貼りつけておこう。ゆるせよグーグル。
元の画像が暗くて看板が見えにくかったので、画像補正しました。それでも見づらいですねえ。
県道3号線の看板に邪魔されているのが「吉」の文字。その左が「大」ですね。「やきとり」の文字の縦スペースが異様にせまく読みづらい。■
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