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2010年12月12日 (日)

マックス・ヴェーバーの「暴力装置」の位置付けについて、出典とされた引用箇所の日本語訳

仙谷さんの「暴力装置」発言が話題になった頃、そもそもこの言葉の定義って何だろうと思いまして、いろいろ検索してみたんですが、どうもすっきりした回答が見つからないんですよね。

ウィキペディアに、マックス・ヴェーバーが位置付けた、とあるんですが、

暴力 - Wikipedia

つまり、暴力を統制するためにはより強力な暴力、すなわち組織化された暴力が社会の中で準備されなければならない。軍隊、警察がこれにあたり、社会学者のマックス・ウェーバーはこれらを暴力装置(organizations for violence)と位置付けた。

ちょっと語弊がありそう。

上記の出典として、「Politics as a Vocation」の二箇所があげてあって、英文がダーッと載せてあります。注釈には

(文中に「暴力装置」と訳せる部分があるのかについてノートで議論中)

とあって、どうも出典として適切なのかという議論になっている様子。

私もざっと見てみたのですが、「暴力装置」の直訳になりそうな箇所がないんですよね。
文章が難しいんで、英文で読むのは断念して、翻訳をあたることにしました。元はドイツ語だろうし、英語に固執する必要はないでしょうということで。

職業としての政治 (岩波文庫)
職業としての政治 (岩波文庫)

これはマックス・ヴェーバーが「1919年1月、ミュンヘンのある学生団体(自由学生同盟)のためにおこなった公開講演を纏めたもの」だそうです。本編部分は100ページ程度の薄い本です。

ウィキペディアで出典とされていた二箇所の翻訳を見てみると、

Every state is founded on force,' said Trotsky at Brest-Litovsk. That is indeed right.
(中略)
Hence, 'politics' for us means striving to share power or striving to influence the distribution of power, either among states or among groups within a state.

にあたる箇所は、

(P9)
「すべての国家は暴力の上に基礎づけられている」。トロツキーは例のブレスト‐リトウスクでこう喝破したが、この言葉は実際正しい。もし手段としての暴力行使とまったく縁のない社会組織しか存在しないとしたら、それこそ「国家」の概念は消滅し、このような特殊な意味で「無政府状態(アナーキー)」と呼んでよいような事態が出現していたに違いない。もちろん暴力行使は、国家にとってノーマルな手段でもまた唯一の手段でもない――そして、そんなことをここで言っているのではない――が、おそらく国家に特有な手段ではあるだろう。そして実際今日、この暴力に対する国家の関係は特別に緊密なのである。過去においては、氏族(ジッペ)を始めとする多種多様な団体が、物理的暴力をまったくノーマルな手段として認めていた。ところが今日では、次のように言わねばなるまい。国家とは、ある一定の領域の内部で――この「領域」という点が特徴なのだが――正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である、と。

そして二箇所目、

This analogy is still more striking when one considers that,on the one hand, the military organization of the medieval partyconstituted a pure army of knights organized on the basis of theregistered feudal estates...
(中略)
But here wedo not have to deal with such organizations for violence, butrather with professional politicians who strive for power throughsober and 'peaceful' party campaigns in the market of electionvotes.

にあたる部分は、

(P49)
たとえば教皇党(グエルフ)や皇帝党(ギベリン)のような中世都市の「政党」は純粋に個人的な徒党であった。教皇党の規約をみると、貴族――もともと騎士として生活し、従って授封資格のある家柄を意味した――の財産没収、官職や選挙権の剥奪、超地方的な党委員会、厳格な軍事的組織、密告者へのプレミアムといったものがすべて出揃っていて、まるでボルシェヴィズムにおけるソヴィエト制度、選りすぐった軍隊組織や、――とくにロシアでの――秘密警察組織、「ブルジョア」(企業家、商人、利子生活者、聖職者、王室の子孫、警官)の武装解除と政治的権利の剥奪、財産の没収をみているような気持になる。しかもこの類似は次の点を考えるといよいよ明瞭になってくる。すなわち一方の教皇党の軍事組織が実際には兵員台帳に基づいて編成された純粋の騎士軍で、その指導的地位のほとんど全部が貴族によって占められていたのに対し、ソヴィエトの方でも高級企業家、出来高賃金制度、テイラー・システム、軍隊や工場の規律をそのまま温存し、というよりこれを復活させて外国資本に色目を使う、というわけで、ようするにこちらも、国家と経済の運転休止をくいとめるために、いったんブルジョア的階級制度として打倒したものを、やがて残らず受け入れ、かつての秘密警察官まで再び国家権力の主要機関として使っているからである。しかし、ここでわれわれが問題にしているのは、このような暴力行使の組織ではなく、投票市場における政党の地道で「平和的な」選挙運動を通して権力を握ろうとする職業政治家である。

講演であり、章とか節の構成がないため、場所を特定するために、ページ数を書きましたが、版によってはずれている可能性があります。私が参照したのは、2001年6月5日発行の第38刷です。

読んでいただくと分かるように、後者は出典として適切ではないようです。前者は、国家と暴力の関係を述べてはいますが、

「軍隊、警察がこれにあたり、社会学者のマックス・ウェーバーはこれらを暴力装置(organizations for violence)と位置付けた。」

とまでいうのは、飛躍がありそうです。

(文中に「暴力装置」と訳せる部分があるのかについてノートで議論中)

の答えは明確です。そんな部分はありません。

ウィキペディアの「暴力」の項のノートに、

「ウェーバーは暴力装置という語を使っていないのではないか?」

ないかという議論がありますが、これに一票です。

「暴力装置」という言葉が政治学や社会学で一般的な用語になっているのは事実だとしても(そして左翼運動家が好んで使った言葉でもある)、ヴェーバーが作った言葉であるかのように言うのは間違いのようです。

ちなみに「職業としての政治」には「人間装置」という言葉は出てきます。いい感じに組み合わせて、運動家にキャッチーな響きの言葉に仕上がったなあという印象。

「職業としての政治」をすべて読めば分かるように、ヴェーバーが言っている「正当な物理的暴力行使の独占」の主体は国家です。ゆえに、政治家には高い倫理が要求される、というのが講演の主眼であり、軍隊や警察の危うさを特にとりあげたような話ではありません。

そして、国家が暴力を伴う支配関係を維持するのに必要なものについて以下のような記述があります。

(P15)
暴力を伴う支配関係の維持のためには、[行政スタッフと並んで]ある種の外的な物財が必要である。
(中略)
人的行政スタッフ(官吏であれ、その他、何であれ)が行政手段(貨幣・建物・武器・車輛・馬匹など)を

上記のような言い方をしているあたり、暴力を行使するのは国家や政府であり、そのための人的スタッフとして官吏や軍人などがいて、行政手段として貨幣、建物、武器などがある、と。

ヴェーバーは政治家を戒めるために、国家が独占している「暴力行使の権利」を挙げているのであり、この言葉を自衛隊に向けた仙谷さんの発言は不自然です。

自衛隊は暴力行使の手段であり、暴力行使の主体は菅さんや仙谷さんである、という構図です。そういう文脈で使うべき言葉です。

また、政治家の心構えについてこう書いています。

(P99)
およそ政治をおこなおうとする者、とくに職業としておこなおうとする者は、この倫理的パラドックスと、このパラドックスの圧力の下で自分自身がどうなるだろうかという問題に対する責任を、片時も忘れてはならない。繰り返して言うが、彼はすべての暴力の中に身を潜めている悪魔の力と関係を結ぶのである。

そう、暴力になりうるのは物理的な力だけではありません。

だからこそ、このような発言が問題になるんだなあと。

「仙谷長官“恫喝”審議紛糾 官僚の将来に「残念だ」」:イザ!

菅直人内閣で異様な存在感を放つ仙谷由人官房長官が、15日の参院予算委員会で、政府参考人として菅内閣の天下り対策に批判的な答弁をしたキャリア官僚に対し「彼の将来が傷つき残念だ」と発言し、審議が一時紛糾した。批判的な官僚に対する人事権の発動とも受け取れ、「公衆の面前で官僚を恫喝(どうかつ)した仙谷氏の罷免を求める」(自民党中堅)との声も出てきた。(酒井充、村上智博)

ちょっと話はそれますが、政治と弁護士について語られた部分もあり、

(P39)
政党が登場して以後の西洋の政治の中で、弁護士が重要な意味をもったのは決して偶然ではない。政党による政治の運営とは、とりもなおさず利害関係者が政治を運営するということ――これが何を意味するかは、そのうちにお話しするが――である。そして事件を利害関係者に有利なように処理することこそ、まさにヴェテラン弁護士の腕というものである。その点で弁護士は――あの断然巧妙だった[戦時中の]敵国の情宣活動(プロパガンダ)がわれわれに教えてくれたように――どんな「官吏」よりも優っている。

総合した結果、ぜひ弁護士でもある仙谷さんに読んでほしいなと。冬休みの推薦図書です。

「仙谷氏「自衛隊は暴力装置」」:イザ!

「ちょっと言葉が走った。ウェーバーを読み直し、改めて勉強したい」

と、本人も語っていることですし・・・

職業としての政治 (岩波文庫)
職業としての政治 (岩波文庫)

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