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2011年4月 2日 (土)

「買い占め」なんか、ほとんど起きていなかった

小田嶋さんのコラムを読んで気付きました。「買い占め」「買いだめ」なんかほとんど起きていなかったんじゃないかと。

今こそ隣人に対して寛大になろう

そして、架空の「買い占める人々」想像して、義憤を覚えている人が多数いるんじゃないかと。

(1)混雑するスーパーマーケット
(2)空になった棚
(3)両手いっぱいの買い物袋

そんなシーケンスで報道すれば、誰もが「買いだめ」というフレーズを頭に思い浮かべるでしょう。

でもね、普段からスーパーで買い物をしている人(そして、それに付き合っている人)なら、分かると思うんですが、地震があろうがなかろうが、山ほど買う人っていうのはけっこういるんですよ。

彼らは、買いだめしているわけでもなんでもなく、消費する量を買っているだけです。それだけ消費するんですよ。中高生の子供が何人かいたりしたら、大人だけの家庭とは比べものにならないくらいの、食材が必要なんですよ。

とはいえ、一部の保存食品や電池なんかについては、過剰なストックをかかえた人もいるんでしょうが、少なくとも、パン、玉子、牛乳、豆腐、野菜などのそれほど日持ちしないものの欠品については、買い占めでもなんでもなく、単なる供給不足ですよね。

供給量が少なかった → 皆がいつもの量を買った → 棚が空になった

というだけじゃないでしょうか。

前述の、

(1)混雑するスーパーマーケット
(3)両手いっぱいの買い物

については、実はいつもの光景なんです。繁昌しているスーパーはそんな感じです。

そこに、

(2)空になった棚

をはさむだけで、「買いだめする愚民の図」の出来あがりです。

そう、これがエイゼンシュテインのモンタージュ理論なんですよ。ほんとか。

人生2割がちょうどいい
人生2割がちょうどいい

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