1000年後に残したい菅さんの言動
2011年12月23日に日テレで放送された「1000年後に残したい報道映像2011」の、スクープ証言『日本がもっとも危なかった87時間』、どうやら菅さんが日本を救ったという話だったようです。
番組サイトへ寄せられたツイートで、
とても良い番組だった。再現ドラマを見て、あの時、菅さんと吉田さんがいなければ、日本は滅びてたとあらためて思った。二人は本当に日本の恩人と思う。
というのは、とても模範的。
日テレとしては、東電にスポンサーとしてのうまみがなくなったので、ここは一つ、東電だけが悪者だったってことにしておいて、民主党にすり寄る感じにシフトした、なーんて、うがった見方ですかね。
この番組放送にぶつけてきたわけではないのでしょうが、とてもいいタイミングで、産経に↓こんな記事が出てました。
現地対策本部長を務めた池田元久前経済産業副大臣による覚書とのこと。
原発に到着してバスに乗り込んだ菅氏は、隣に座った東電の武藤栄副社長(同)を攻め立てた。覚書には「初めから詰問調であった。『なぜベント(排気)をやらないのか』という趣旨だったと思う。怒鳴り声ばかり聞こえ、話の内容はそばにいてもよく分からなかった」と記されている。
非常事態時に怒鳴る。その「怒鳴り」の効果をコントロールできるならやってもいいことなのかもしれませんが。
そして、
「何のために俺がここに来たと思っているのか!」
菅氏は免震重要棟に入ると夜勤明けの作業員が大勢いる前で怒声を上げた。池田氏は「これはまずい。一般作業員の前で言うとは…」と感じた。
上層部のごたごたに一般作業員を巻き込む。現場の不安感や疲労感はいかばかりか。
菅氏の振る舞いを見た池田氏は同行した寺田学首相補佐官(同)に「首相を落ち着かせてくれ」と頼み、同席した関係者に「不快な思いをさせてしまった」と陳謝したという。
感情をコントロールできない上司の尻拭い。もう、ほんと、うちのバカがすみません・・・的な。
そんな、「日本を救った」菅元総理が「1000年後に残したい報道映像2011」番組内のインタビューで語っています。
池田前経済産業副大臣の手記と、上記の菅さんの言い分と、両方とも1000年後まで残しておきましょう。
なので、日テレも動画の削除依頼とかしちゃダメよ。見えないところに残したって意味ないんだから。
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