マナーの悪い若者とマナーの悪い老人と私の関係
電車で二人分の座席を占有してふんぞり返ってスマホをいじる高校生。
電車を降りるとき、人を押しのけて我先にと割り込んできたくせに、ホームに降りた途端立ち止まり、流れをせき止める老人。
そんな若者や老人を見たとき、「来た道」だとか「行く道」だとかいって、まあそう腹を立てなさんな、みたいな戒めが頭をよぎります。
でも、ぜんぜんしっくりこない。
私はあんな若者ではなかったし、あんな老人にはならない。絶対ならない。ボケた場合だけは別だけど。
邪魔な老人がいると、それを見かけた人は勘違いしがちだと思うんですよ。「年をとったから、ああなったんだ」と。
でも見回してみると、邪魔な子供、邪魔な若者、邪魔な中年、邪魔な老人と、ある一定の割り合いで分布しているんですよ。
たいていの人は子供の頃に非常識な行動からは卒業するんですが、この属性を持ち続けた人が、非常識な中年を経て、非常識な老人へと繰り上がっていく。
雑踏でスマホをいじりながら歩いている若者は、自分が回りに与えている影響というのを意識していないんですよ。自分の後ろにも山ほど人が歩いていて、その人たちのスピードに比べて自分のスピードが遅ければスムーズな通行に影響が出るということに。
改札の前で人を通せんぼした状態でカバンから切符を探すような老人も、自分が回りに与えている影響に気づいていない、または軽視している。
そりゃ年をとれば、もたつくことも多いだろうし、失敗も多くなるでしょう。でもね、経験とか知識で対処できるようになるもんじゃないですか。
いつどこで切符を出せば流れを乱さずに済むだろうか。電車に降りる前から手に握っておこうか、ホームで歩きながら出そうか、それが難しいなら流れを外れた邪魔にならない場所をみつけて、そこでゆっくり探そうとか。
年をとって機敏に動けなくなったことなんてのは言い訳にもならなくて、ただ単に周りの人への気遣いが不足しているだけなんじゃないかと。気遣いが不足しているのは、老人に限らなくて、そして若者にも限らない。この手の属性を持った人が一生をかけて、社会のあちらこちらに出没する。
つまり、私が来た道でも行く道でもなく、それとは交わらない別の道を歩く人たちの所業であるわけです。でも、周りを見回してみると、9割以上の人は私と同じ側の道を歩いている感じがするんですけどね。迷惑をかけている人って意外と少ないですよ。
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