「現代口語演劇のために」と「S高原から」 そして、死ぬ演技について
演劇と縁のない私が平田オリザ氏のことを認識したのは↓この番組でした。
ニッポン戦後サブカルチャー史
第8回「セカイの変容
~岡崎京子・エヴァンゲリオン・ゲーム~90年代(1)」
NHK Eテレ 2014年9月19日放送
「平田オリザ」という劇作家がいるってことくらいは知っていたんですけどね。どんな人かも、どんな演劇かも知りませんでした。「テレビでやらないもの」に触れる機会がなかなかありませんで・・・
で、番組は(これまた劇作家の)宮沢章夫氏が講師となって、1945年~2000年代のサブカルチャーを紹介するというもので、その中で平田オリザのこともとりあげたんですね。
ナレーションでの説明の部分が、比較的まとまっていて分かりやすいと思うので、書き起こしてみると
ナレーション:
劇作家 平田オリザは「『私は歯が痛い』という台詞に対して現代演劇の観客は納得しない。なぜならそれは『あぁ、そうですか』としか答えようがない主観的な命題だからだ」と語っている。作家や役者がいくら痛みを主張しても現代の観客はその痛みを共有できないというのだ。そこで代わりに提案されたのは、『彼は歯が痛いらしい』『痛いんだって』といった第三者からの客観的な台詞をつらねて感じさせることだった。
ふ~ん。
で、そのあとに、リハーサルの風景や「ソウル市民」の映像が流れたのですが↓
私が「おぉ」と思ったのは、台詞が「普通に話されている」という点です。
観客のやや上方の中空を見ながら腹から声を出す、とかじゃない感じ。いかにも推敲された気のきいた台詞をどや顔で一気に放出する、とかじゃない感じ。
演劇(や映画やドラマも)ってのは、リアリティがすべてじゃないんだろうけど、リアリティを追求した作品があってもいいんじゃないってのは、常々思っていたんですが、そういうものに出会ったことがなかったので、衝撃でした。こういうのもあるんだ、って。
で、「こういう演劇があるんだって」という話を嫁さんにしたら、「ドラマみたいな感じ?」という反応。演劇に比べればドラマは普通っぽいけど、でも普通じゃないじゃん。この役者が言っている台詞どうよ?こんなこと言わないじゃん。こんな話し方しないじゃん。たまにこんな奴いるかもしれないけど、そいうのって芝居がかった痛いやつじゃん。というところは、嫁さんにはあまり伝わりませんでした。
話戻します。で、番組中でも触れられていた平田オリザの著書「現代口語演劇のために」を読んでみたんですね↓
番組でとりあげられていたのは↓このあたりでしょうか。
では次に「私は歯が痛い」と役者が言う。ところが、これを観客に納得、共感させるのは私は無理だと思う。「これは机だ」という命題と「私は歯が痛い」という命題は明らかに違う。「私は歯が痛い」という主観的命題は、どうやっても証明不可能だからだ。人はそれを聞いて言うだろう。「あぁ、そうですか」と。
で、番組では、この「あぁ、そうですか」のあたりを強調していたんですが、私が「現代口語演劇のために」を読んで、そうそう、と思ったのは、「演技について」という章の↓このあたり。
ここでいう「表現の欲求」とは、簡単にいってしまえば、役者はほうっておけば、「悲しい」という言葉を戯曲の中から発見したとたん、悲しく悲しく演技しようとする習性を持っているということだ。この、役者の「表現の欲求」については、以下のようにまとめることができるだろう。
a、人間は、悲しいときに、とりたてて「悲しさ」を表現することはしない。
でしょー。そういう表現をすべき場面ではそうするかもしれないけど、そんな場面は滅多にないでしょ。お葬式で神妙な顔をしてなきゃとか、プレゼントもらって嬉しいことを表現しなきゃってときとか。つまり「演技している場面」以外ではそんな表現はしないんですよね。私は悲しくても嬉しくても、普通の顔をしています。むしろそういう時ほど普通の表情をしています。
でも、世の中の表現は↓こうなってしまっていくんですよね。
b、もっとも愚かな役者は、その「表現の欲求」に無自覚で、例えば、これまでに観た演劇や映画やテレビの、悲しい場面を模倣しようとする。
そして、
c、次に愚かな役者は、悲しい場面を想像する。しかし、その想像も「悲しさ」という言葉の呪縛から逃れられないために、大きな限定を受けている。
で、どうやって悲しい人の表現を学べばいいの?ってなって、
d、次に、もっとも良心的で愚かな役者は、悲しみに浸る人々を観察する。
「その手があったか!」とは、なりません。
電車に乗っている人のうち、だれが悲しみの中にいるかを、どうやって見分ければいいのだろうか。結局は、自分の記憶や想像力の範囲での悲しさの表現とその類型以外のものは発見できないだろう。
対象を選択する時点でバイアスがかかってしまうということなんですね。電車でニヤニヤしている蛭子さんを観察して、「嬉しがっている人」の演技の参考にしてはいけないでしょ。
でも、こうなってくると、悲しさや嬉しさを表現するってことが、ほとんど不可能であるような気になってきます。
(筆者注: 表現の)義務から解放された役者は、では、どういった方向で演技をしていけばいいのだろうか。
「悲しさ」を表現してはならない。
しかし、「悲しさ」を表現しないということも、また一つの意味を生み出してしまう。何故なら、観客には、表現を拒否する役者の意図が見えてしまうからだ。
もう、禅問答みたいになってきました。役者はどうすればいんでしょう?
そこで、ただ唯一「もしかしたら悲しいのかもしれない」というように見えることだけが許される。
ギリギリのバランスのところに成り立つ表現ですね。でも、現実の世界ってそうですもんね。まあ、怒っていないのに、怒っているような表情をして、周りを混乱させる人もいますけど。
で、実はここまでは前ふりでした。私が本当に感心したのは、この演技論が戯曲の中で実践されているのを見たときですね。
「S高原から」という戯曲の脚本↓を読みました。
舞台はサナトリウムなんですね。だから、いつ死んでもおかしくないような重病の人もいるわけです。でも、いつ死んでもおかしくないような人が、必ずしも今にも死にそうな感じというわけではなかったりもしますよね。普通に散歩したり、どうでもいい会話をしたり。そういう、暗すぎない感じの、悲しさがあるようなないような、そんな戯曲でした。(読んだだけですが・・・)
で、このあとネタばれです。
「読もう」あるいは「見よう」(DVDとか)と思っている人は要注意。
・・・いい?
最後に登場人物の一人が死ぬんですね。いや、もしかしたらほんとは死んでいないのかもしれません、でも、死んだと捉える方が自然なような・・・
具合悪いときってウトウトしがちだったりするじゃないですか。で、ロビーの椅子に座ってウトウトしていると、話しかけている人が「起きてます?」「聞いてますよ。」みたいなやりとりが何度か展開されるわけです。
周りの人はちょっと心配したりもするんですが、それはあくまで、こんなところで寝てたら風邪引きますよ的な文脈ですね。
で、ラストのところです。
前島 ☆67 福島さん、風邪引きますよ。
西岡 ☆67 今日/
・・・
前島 なに?
西岡 なんでもない、
前島 大丈夫かな?
西岡 大丈夫でしょ、
前島 なんか、死んでいるみたい。
西岡 うーん、いい顔してるねぇ。(歩き出す)
前島 さっき、なんて言ったの?
西岡 何でもない。
前島 あ、そう、
* 西岡、前島、上手に退場。
福島、長椅子の上で死んだように眠る。十秒後に暗転。
ちなみに、「☆」は台詞が同時に話される、「/」は台詞が遮られて途切れるような意味の記号です。
で、このシーンの真意は、この戯曲集に収録されている、平田氏がパンフレットに載せた「ご挨拶にかえて」の文章を読むと、少し見えてきます。
ある芝居を見ていたら、舞台上で人が死んだ。もちろん本当に死んだわけではなくて、死んだというお芝居をした。私は、「それは無理だろうと思った。
(中略)
さて、では、現代演劇で死を直接的に扱うことはもう無理なのだろうか。と、そんなことを考えながら作ったのが、この『S高原から』という作品である。はたして、この作品の中で死がどのように扱われるかは、まぁもちろん見てのお楽しみなのだが、私としては、おそらくこの方法が、現代において唯一、演劇が死へと近づいていける方向なのではないかとさえ思っている。
ね?
「私は歯が痛い」くらいだったら、もしかしたら、大して違和感を覚えさせることなく演じられるかもしれない。例え、納得、共感させられないとしても。
でも、「私は死んでいます」の演技は相当難しいんじゃないかと。平田氏の言葉を借りれば「無理」だと。
だからこの演劇論が活きてくる。
そこで、ただ唯一「もしかしたら悲しいのかもしれない」というように見えることだけが許される。
「もしかしたら死んでいるのかもしれない」というように見えること、が大事であると。
死んでいないように見える(動くとか、しゃべるとか)のもいけないし、かといって、死んでいるように見せようとする(ガクッと事切れるとか、白目をむくとか)のもいけない。
でも、それによって役者さんは不可能な演技をさせられることから開放されるというわけなんですね。
・・・なんて、訳知り顔で書く私は、平田オリザ氏の演劇を一度も見たことないという・・・
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